趣味の歴史&写真

豊前市上川底・貴船神社に行ってきました 2021春

豊前市上川底・貴船神社

ナビの目的地を間違えたのか、思わぬ場所に辿り着きました。

ちょうど藤の花が咲き出していた、轟フジ農村公園のあたりです。

轟フジ農村公園

佐井川のほとりです。

求菩提山キャンプ場付近の、岩岳川の河川プールは知っていたけど、ここは知りませんでした。

川遊びできそうでした。

その近くに、ひときわ目を惹く大木がありました。

豊前市上川底・貴船神社

二種類の木が、ハートの形になっているように見えました。

豊前市上川底・貴船神社

神社の下側に駐車場があり、そこから見上げる神社はまた違った景色です。

左手に見える建物は舞台のようでした。

ネットで色々調べてみたら、「大村神楽講」が奉納されていた舞台のようでした。

大村神楽講とは
京築地方に伝わる神楽は、天台宗修験道の影響の湯立や、豊前修験道の松会行事である幣切りが神楽の演目として取り入れられている。大富神社では江戸時代以前から神楽が奉納されていることが伝えられている。また江戸時代に入ると祭礼などの際に社家により奉納されていたことが文献資料によって明らかになっている。大村神楽講が伝承している祝詞によると、湯立は熱湯を浴びたり、火を踏んだりして身の潔白を証明した、古代の神聖裁判に因っているくだりがある。豊前神楽を伝承した神楽講の一つの大村神楽講は、1677(明治10)年頃大富神社の清原宮司が氏子たちに伝えられ成立したといわれている。なお、大富神社には、次のような神楽に関する文献資料がある。「1719(享保4年)岩戸神楽帳、1750(寛延3)年山田宮宝剣治国神楽諸銘記、1791(寛政3年)宝剣治国神楽番組、(年次不詳)宝剣治国神楽由来、(年次不詳)神楽解説、(年次不詳)神楽秘伝書」。

ふくおか民俗芸能ライブラリーより
http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/detail.asp?id=15-10
 
 

大富神社はこの貴船神社とは結構離れている気がしますが、貴船神社で奉納する何か意味があったのでしょうか。

また、大村神楽は他にも豊前市今市の事代主神社でも奉納されているようです。

国譲り神話の主役、事代主之命の名を冠する神社でもともと大和の神であったといいます。神話の世界に遊ぶ神楽と意味深いものを感じます

https://www.city.buzen.lg.jp/kanko/miru/kagura2010/kotoshironushi1204.html
豊前市ホームページより引用
 
 

大富神社の祭神はもともと宗像大神(田心姫・湍津姫・市杵島姫)、貴船神社の祭神は一般的に高龗神(たかおかみのかみ)、事代主神社の祭神は事代主です。

何かの関連があって神楽が行われているのか、それとも関わりは特にないのか、はっきりした情報がネットでは見当たりませんでした。

豊前市上川底・貴船神社

神社内には歴史がありそうな祠も並びます。

豊前市上川底・貴船神社

古い神額のようです。

途中まで土に埋められていました。

豊前市上川底・前田金治郎君之碑

神社のそばには「前田金治郎君之碑」も。

ネットで調べても情報が見当たらなかったのですが、いつか分かったら追記したいです。

追記:豊前の貴船神社の祭神について

豊前市青畑の大山祇神社について調べていた時に、豊前の貴船神社の祭神について触れていたWebサイトの記事を見つけましたので追記します。

貴船神社の祭神は一般的に高龗神・闇龗神と言われています。

見つけた記事には、この豊前においての貴船神社の祭神は「瀬織津姫神」ではないかと伝えていました。

普賢窟には「水分神」がまつられていたとあり、ここでは、その水神(水分神)の名は語られていませんけれども、ここには「岩瀧大明神」がまつられていました(近世末に成る「諸堂記」)。その祭祀の祠は「岩瀧宮」と呼ばれ、『文化攷』は、明治期初頭の文献から、次のように神の名を明かしていました。

岩瀧宮  瀬織津姫命

求菩提山頂・白山権現の足下に、「瀬織津姫命」という白山祭祀の本源神の名がみられるというのは、実に貴重です。

(中略)

 犬ヶ岳の霊神は「鬼神」とみなされていましたが、これは、天皇を中心とする律令的国家構想と連動している伊勢の皇祖神祭祀を相対化する神でもあったからです。まさに「王政復古」的に近代天皇制を国家構想の基本に置いて動き出した明治政府(の神祇思想)が、そういった「鬼神」祭祀を容認するはずもなく、明治十三年二月に成る「神社明細書」からは、「瀬織津姫命」の名は消えることになります(『文化攷』)。

http://teamtamayura.blog87.fc2.com/blog-entry-10.html
月の抒情、瀧の激情 「求菩提山・岩岳川の守護神──鬼の供養のために」より引用
 

瀬織津姫命は「消された」と聞いたことはあります。

 ちなみに、昭和十九年発行『福岡県神社誌』は石清水八幡神社(当時は千束神社)の項で、「瀬織津姫命、高靇神、素盞嗚命は大字廣瀬字ワサ田村社貴船神社として祭祀ありしを同(明治)四十三年十月八日合併許可、高靇神は同一祭神に付合霊す」と書いています。
 いずれにしても、貴船神の古祭祀として瀬織津姫神の名がみられます。貴船神社の祭神は、現在、一般的にはタカオカミ・クラオカミといった名で語られることが圧倒的に多いです。しかし、石清水八幡神社のほかにも、たとえば、宗像大神の祭祀者である宗像大宮司が、かつて自身の守護神として私祭していた貴船神にも瀬織津姫神の名がみられますから、この神を古層あるいは本来の貴船神とみることに不都合なことはありません。
 明治期以降、求菩提山の表層祭祀からは消えた岩岳川の水源神の名を、貴船神として現在にまで伝えつづけている石清水八幡神社の存在は特記に値します。その気骨ある祭祀思想が見え隠れしているのは、当地がなるほど「鬼の里」(『豊前地方誌』)であったことを告げてもいるようです。

http://teamtamayura.blog87.fc2.com/blog-entry-10.html
月の抒情、瀧の激情 「求菩提山・岩岳川の守護神──鬼の供養のために」より引用
 
 

政権にとって不都合だった瀬織津姫命の名前は消されたのに、石清水八幡神社はその存在を明記して伝え続けたということですね。

この方の記事を見つけた後、歴史から消された瀬織津姫についての記事が見つかりました。

むなかた電子博物館 紀要 第9号 増刊
これからの、そしてこれからのむなかた電子博物館を多方面から語り尽くす「座談会 むなかた電子博物館をあなたはどう思いますか?」を中心に、宗像神信仰研究の続編となる「宗像と宇佐の女神、そして卑弥呼」を収録。あなたの知らない電子博物館を知ることができる1冊です。

むなかた電子博物館「むなはく」より

電子書籍内の論文、静岡理工科大学 名誉教授 矢田 浩氏による「宗像と宇佐の女神、そして卑弥呼 [付編]魏使の邪馬台国への行程 ―宗像神の研究(4)―」です。

概要
宗像・沖ノ島の謎を解くため、全国の神社の祭神分布を手がかりに宗像神信仰の起源の解
明を行っている。三女神のうちこれまでに解明に到らなかった湍津姫について、史料や伝承が暗示す
る宇佐神宮の女神との接点について検討した。その結果、宇佐の女神の旧名「比咩(本来ヒミと発音)」
は「卑弥呼」への崇敬から生まれた神で、種々の事情で名を変え宗像の湍津姫にもそれが受け継がれ
ているという仮説が導かれた。卑弥呼が拠っていた邪馬台国の所在とその成立の経緯について、原典
史料と考古学的物証による検討を行い、この仮説を裏付けることができた。これで沖ノ島祭祀の謎解き
の土台が整った。

むなかた電子博物館 紀要 第9号 増刊から引用
 


詳細は論文を読んでいただきたいのですが、「瀬織津姫」は「卑弥呼」を指す可能性が高いと伝えています。

(邪馬台国の場所や、卑弥呼の存在については様々な説があります。)

豊前市上川底・貴船神社のアクセスは

貴船神社
〒828-0077 福岡県豊前市上川底

もしナビで貴船神社が出なければ、轟フジ農村公園を目印にしてもいいと思います。

豊前・轟フジ農村公園

轟フジ農村公園
〒828-0077 福岡県豊前市上川底 県道2号線