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趣味の歴史&写真

大分県臼杵市の臼杵神社・臼塚古墳に行ってきました2020秋 / SONY RX100M7

大分県臼杵市の臼杵神社に行って来ました2020

学生の頃から日本史が好きで、北九州に来てからは身近に歴史史跡が沢山あることから古代史に興味が深まり、本やネットで情報を得ています。

国宝の磨崖仏として有名な臼杵石仏を見に行こうと臼杵のことを調べていたら、ネットで目にとまったのが「臼杵神社」。

臼杵の地名の由来になった神社らしく、行ってみることにしました。

旅カメラはコンパクトデジタルカメラ、SONY RX100M7です。

臼杵神社とは・由緒

臼杵神社(うすきじんじゃ)は、大分県臼杵市大字稲田字林西平に鎮座する神社である。
通称は「臼塚さま」。大友時代臼杵五社の一つ。臼塚古墳の後円部を社殿敷地とし、境内には、舟形石棺2基及び短甲形石人2基がある。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%BC%E6%9D%B5%E7%A5%9E%E7%A4%BE
ウィキペディアより
 
 
臼杵神社(元臼杵大明神)由緒

臼杵神社(臼杵大明神)由緒略記

御祭神 大己貴命 少彦名命 菅原神
摂末社 稲荷神社

一、臼杵荘名之説
千早振神代の昔、天孫日向の国に天降りまして高千穂に宮柱太しき玉いしき時に臼杵を降し玉ひし地なるにより、臼杵と名付けそめけるとなり、即ちその古跡は臼杵神社なり。
豊後国志云、城北里餘有祠、祭臼杵神、故名臼杵、蓋城西南、是臼杵荘境也
臼杵の神とは、臼塚大明神と称する所、日本国記、万葉記などに豊後国の神社とて少名彦神は花園院文保年中(1317~1318)依託立臼杵とあり、日本鹿子といえるものにものせたり、古事記にヒキリウス・ヒキリキネの事見ゆ。即ち大名持の神の故事也。しかれば神代よりの古蹟なると知るべし。熱田神宮の摂社に臼杵の神という有り、故あることなるべし。

一、縁結の神
愛敬守は江戸へ遺?方角上へ差出し、御遺成衛大名方御婚儀始の時、縁結の神、日本七つの御守の内とて貴人方御所望あり、毎年五、六十枚より百枚の間差上げてよし

一、桜翁推鉾
臼杵大明神は大社?宮造也、その昔京都勅使下臼杵の事あり、今に京田とて社の東に凡そ五反程の上田あり臼杵?熊崎三島明神の北の木?に三反鉾の田地あり。太田?弾守臼杵に封???時、祟祭りて神田を寄付す。昔の?浜出は諏訪にあり、石の臼杵今も立ちたり。又社の裏には流鏑の馬場あり、今の社地は蓬業築立たるもの?男亀なり。後の天神森に女亀なり。(今の公民館)

一、大日本神社角力参詣所
見立角力口?中、豊後臼杵宮と出たり。愛敬の御守この社より?、江戸御邸より??故名高きと思はれる。

一、石燈銘
臼杵之利、斯民永頼、若夫有疾救薬為大神布厥徳、民全此生 日月垂照、古今仰明
文政庚辰孟夏
臼城疾?世宮者十有六人足月議建立

一、臼杵紀記
隕石誉年臼杵工、天封名託無?威霊況入花園?、歳々?香二月風

看板より
 
 

字がかすれたり、読めない部分も多かった。

とても歴史が古そうな神社です。

大己貴命といえば、福岡県朝倉の大己貴神社(おんが様)が思い浮かびますが、大己貴とは大国主(出雲大社の御祭神)の別名なんですよね。

「臼塚古墳」の上に建つ神社

この臼杵神社は実は古墳の上に建てられています。

臼塚古墳看板

大分県指定史跡
臼塚古墳


所在地  臼杵市大字稲田字西平
築造年代 5世紀前半〜中頃
形状   前方後円墳 全長約八十七メートル
埋葬主体 舟型石棺(二基)直葬

 臼塚古墳は、古墳時代において大野川東岸から豊後水道沿岸部にかけての広大な領域を支配していた海部一族(あまべいちぞく)の族長(首長)の墓とみられる前方後円墳です。現在、臼杵神社の社殿が建てられている部分が後円部にあたり、大正四年(一九一五)に、この頂上部から大小二基の舟形石棺(ふながたせっかん)が発見されました。両石棺の内部には男女一体ずつ、合計四体が葬られており、出土した頭骨の外耳道(耳の骨)には、潜水作業を行う人々によくみられる骨腫(骨の突起)があることがわかりました。こうしたことから臼塚古墳に葬られた人たちは海を生活の場とするとともに高い航海技術を持ち、九州の古墳文化に強い影響を与えながら、沿岸地域の豪族たちちも深い関係を築き成長した人々であったようです。
 副葬品としては、人骨のほかに「位至三公鏡(いしさんこうきょう)」・「獣帯鏡(じゅうたいきょう)」(ともに臼杵市指定有形文化財)と呼ばれる銅鏡がそれぞれ一枚ずつ、さらに貝輪(腕飾り)や鉄製の鎧(短甲)、鉄鉾、鉄剣などが発見されています。
 石棺の形状は山陰・北陸地域の舟形石棺と同系統のものです。また、ここに置かれている二基の石人は短甲を模したものであり、九州内では最も古いとされています。
臼杵市教育委員会

看板より
 
 

歴史について(個人的な見解)

由緒書きと古墳の説明を見て気になったこと。

大己貴命と少彦名命の両名が御祭神(公式ホームページによると創建時からの二柱)。大己貴命は大国主の別名で、少彦名命はえびす様、えびす様は事代主である説があります。

そして古墳に埋葬された人は海部族。

出雲王国の大国主や事代主の子孫が暮らしていたということでしょうか。

臼杵は平安時代に豊後大神氏が治め、豊後大神氏の祖は祖母山大明神の神体である蛇との蛇神婚伝説と平家物語で有名な大神惟基。

大神惟基は大和大神氏の子孫との説も。

↓持っている本を読むと色々繋がってきます。

出雲王国とヤマト政権-伝承の日本史-
富士林雅樹 著
出版社から買うと定価で購入できます(amazonだと高くなっている)

臼杵神社の写真

臼杵神社を見上げて

神社の手前から歩いて行くとこんもりとした小さな山?丘?が見えてきます。

ここが古墳そのものなのですね。

臼杵神社鳥居

臼杵神社の鳥居。

臼杵神社内

鳥居を過ぎたら階段上には大きな木、右川手前には

臼杵神社、九州最古の石人

石人。

短甲の形を表しているそうです。赤い塗料が残っていますね。

この臼塚古墳は、直線距離にして約1.3kmばかり南東に位置している下山古墳より、出土遺物・埋葬施設(石棺)・副葬品などの点から見て、年代的にやや古いとされています。後円部の頂上付近には二基の舟形石棺が、また前方部と後円部の接点で幅が一番狭くなっているところには、全国でも珍しい短甲形の石人が二基立てられていましたが、施設として覆屋設置に伴って、石棺、石人ともそれぞれ移設されています。この石人は、武人を表現しているもので、以前は古墳の被葬者を守るかのように被葬者を納めた石棺の方を向いて立てられていました。

臼杵市ホームページより
https://www.city.usuki.oita.jp/docs/2014020500356/
 
 

元の場所から移設されたようです。
撮影しなかったけど石棺も見ることができます。

臼杵神社御神木
臼杵神社の御神木

樹齢650年ほどの楠木。

臼杵神社狛犬
臼杵神社狛犬

とても綺麗に手入れされた神社でした。

地元の人たちにずっと大切にされているんでしょうね。

臼杵の隠れたパワースポットとしても人気の神社。

お邪魔しました。

臼杵神社のアクセス・情報

〒875-0082 大分県臼杵市稲田 字林西平131番地
臼杵神社公式ホームページ
https://usukijinnja.jimdofree.com/

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