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透留社を訪れました-国東半島、豊後高田市の真玉海岸

透留社を訪れました-国東半島、豊後高田市の真玉海岸

先日訪れた国東半島、豊後高田市の真玉海岸。

海と食事が目当てで訪れたその場所のすぐそばに綺麗な神社がありました、そこが透留社です。

(他の方のブログで読み仮名が「つるしゃ」と出ていました)

透留社の鳥居

真玉海岸用の駐車場からすぐに鳥居が。

海に向かった鳥居です。

透留社鳥居アップ

鳥居のアップ。

しめ縄が新しそう。

透留社社殿側

真玉海岸の干潟が見渡せる場所。

透留社左側

社殿左側にはインスタスポットの枠?とお蕎麦屋さん。

真玉海岸・大きな枠

記念撮影用の枠?

透留社の岩

海のそばに変わった形の岩が。

石版に何か書かれていたかもしれませんが、見る時間が無かったのです、残念。

透留社看板

臼野の白妙姫の話
今から八百年ほど前、国東半島の臼野の浜に突然、見なれぬ若侍たちの一団が船でやってきました。この侍たちは、源氏との合戦に敗れた平家の公達だったのです。
山奥へ身を潜めようとする一行から、取り残された一組の若い夫婦がおりました。女の人の名前は、白妙姫。その姫が病気で、歩けなくなったからです。村人たちはたいそう同情して、時安の空き家を貸し与え、新鮮な菜や魚などを届けてあげました。
それから一年余り。若侍たちが、源氏との決戦の覚悟を決め臼野の村へ帰って来ました。若侍たちは船に乗り戦場へと向かいます。夫たちの乗った船を見送る姫の美しい瞳から、止めどもなく涙があふれるのでした。
その後夫からの便りはなく、姫の病は重くなり、ある日、村人たちに看とられながら、息を引きとりました。その時しっかりと握りしめていた夫の肩身の石棒は、今でも松ヶ平に大明神として祭られているそうです。

看板より
 


この真玉海岸がある臼野に伝わる伝説のようです。

看板にある「松ヶ平」について検索かけてみたけど、大分県にはそんな地名が無いような。

全国遺跡報告総覧というウェブサイトに松ヶ平遺跡(まつがひらいせき)と大分県宇佐市大字四日市のデータが残っていましたが、関連あるのか…分かりませんね。

神社自体については産土神名帳というウェブサイトによると、「祭神は保食神、由緒は不詳」との記載。

これ以上の情報は見当たりませんでした。

でもこうやって可能性のレベルでもテキスト化していたら、いつか誰かが検索して、何かのヒントにしてくれるかもしれません。

透留社社殿

神社も真玉海岸もとても綺麗でした。

もしまた何か分かったら追記していきます。

透留社の情報

〒872-1107 大分県豊後高田市臼野5125

 

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撮影に使用したカメラ

仕事のために動画撮影メインで購入。写真撮影メインならRX100M6でも十分な気が。

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